2006 FIFA World Cup ドイツ大会 日本代表メンバー発表

FW

スポーツナビ より

2003年7月26日

3年前に初めて久保が試合をやっているところを見た。たまたま万博へ行くことが出来て一人で見に行った。
その試合の後半早々、久保はゴール前で競り合って、ヘッドでゴールを決めた。そのゴール裏であるアウェイの芝生席に陣取るマリノスサポーターが沸き立った。
明確に覚えているけど、競り合った選手の肩が、久保のわき腹あたりにあった。同時に彼の頭の最高到達点は明らかにクロスバーを越えていた。
その数分後に左から奥がセンタリングをあげた。久保はジャンプして体を右に寝かせる姿勢をつくって、そのまま左足のダイレクトボレーで叩き込んだ。
開いた口が閉じなかった。
試合後のコメントは『トラップするのが面倒だったので』だったような気がする。

参考1 日本代表を応援するHP 流行語サッカー日本代表流行語大賞2003
参考2 J’s Goalより

歩く久保を見た。

これも明確に覚えているけどオフサイドに飛び出したあと、何もせずに歩いて戻る久保をみた。
一旦オンサイドからオフサイドに飛び出してボールがもらえなかったときは、FWはルール上何もできない。ボールや味方に反応せず、プレーする意思を見せなければ、反則をとられないだけだ。動かずにマイナスをゼロにする作業があるだけだ。
久保は悠然と歩いていた。文字通り何もしない。体はボールや味方の動きに反応しない。ただ歩くだけ。そして自分を除いたプレーヤーで続けられている戦況を眺めている。しっかりと、見逃さず。
その悠然と歩く姿は強烈だった。ある意味で、ゴールを奪うことのみに集中した究極のプレーを優雅に実践している。あの姿は良かった。

2003年11月29日

その年の1stステージはマリノスが優勝していて、2ndステージは最終節を迎えて磐田か鹿島が優勝しそうだった。いずれにせよJリーグチャンピオンシップを見に行くつもりで、横浜国際のチケットをすでに買っていた。
最終節をテレビで眺めていたら、ロスタイムに久保はキーパーの手の上まで飛び越えて、勝ち越しのヘッドを決めてしまう。同時に横浜の完全優勝が決まり、チャンピオンシップはなくなってしまった。
そんなことあるの?
一説には億単位のイベントであるのに、久保のヘッド一発でなくなったのだ。まさに値千金のゴールだ。悪い意味で。後で払い戻してもらうのにすごく苦労した。
nikkansportsより

03年・04年、代表で活躍

たまたま(かどうかは知らないが)7月の試合はジーコ監督が見に来ており、さすがに直後の代表に召集された。監督が誰であろうと選ばざるを得ないようなプレーを見せてくれたからねぇ。
よく見たら召集されてすぐ使っているわけではない。何試合かおいて初めてチャンスを与えている。なんかやはりジーコの選手の扱い方は筋が通っている気がする。ちょっと活躍したからといって、すぐ活躍するかもしれない。しかしそれを代表の場に本当に持ち込むための時間と準備をさせていたのかもしれない。一旦使い出したら容易に替えないのも同じ論法なんでしょう。
03年年末の東アジア選手権から代表のレギュラーとなり、04年の欧州遠征では点をとりまくった。
このときの活躍からすれば、高原・久保がベストコンディションな時が理想なのは僕の中では間違いなかった。ま、そんなに異論が出る話でもないと思う。

勝手な期待

2002年のときも久保選手はぎりぎりのところで選ばれなかった。落選の直後は関係者にも連絡もせず、コメントはなかった。
僕は勝手に想像する。今回はホントにコンディションが悪かったのだろうと。あと1ヶ月弱では代表選手のレベルに戻らないような悪さだったんだろうと。
また勝手に想像する。今日も彼はどこかで、湧き出て抑えられない悔しさに、本人にしか味わえない悔しさに、全身を焦がし、己の不甲斐なさを責めているのだろうと。。
そして最後に勝手に期待する。勝手な一ファンとして、さほどファンでもなかった巻誠一郎選手に期待する。期待ではない。命令に近い。何の権限も持たない勝手な命令だ。
日本代表のFWであるならば、ベストコンディションの久保竜彦を超えろ、と。

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